スーダン和平交渉への協力拒否
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:36 UTC 版)
「フランクリン・グラハム」の記事における「スーダン和平交渉への協力拒否」の解説
スーダンで自身の団体サマリタンズ・パースの活動を展開していたフランクリン・グラハムは、1994年、ウガンダの神の抵抗軍とスーダンおよびウガンダ両政府のあいだの和平交渉への参加を拒否したことで、批判を受けた。2009年3月、スーダン大統領オマル・アル=バシールが国際刑事裁判所によって訴追されると、フランクリン・グラハムはニューヨーク・タイムズ紙に「平和を正義に優先させよ」と題された記事を寄稿し、バシール大統領をジェノサイドの罪で訴追すれば2005年の和平合意の崩壊を招くと論じて、訴追に反対した 。これに対して、 他の団体に並び、進歩派のNPO団体ピース・フォー・ザ・アメリカン・ウェイ(en:Peace for the American Way)は、フランクリン・グラハムによるバシール大統領の擁護を批判した。フランクリン・グラハムが、イスラーム系の多いダルフールにおけるバシール大統領の虐殺行為を軽く見積もったのは、キリスト教徒の多いスーダン南部に和平が成立していることや、バシール大統領がサマリタンズ・パースのスーダンでの活動を許したためだという批判内容であった。
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