2003年シーズンのリーグ概要
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「2003年のJリーグ ディビジョン1」の記事における「2003年シーズンのリーグ概要」の解説
1990年代後半を席巻した鹿島アントラーズ、ジュビロ磐田の2強が世代交代期に入る一方、岡田武史を招聘した横浜F・マリノス、イビチャ・オシムの指導で急速に力をつけたジェフユナイテッド市原が台頭するなど、クラブの上下関係が大きく変動する兆しを見せた年であった。特にセカンドステージは、上位3クラブの勝ち点、勝敗がまったくの同数になる(得失点差で横浜FMが優勝)という混戦ぶりであった(2003年J1・2ndステージ最終節参照)。 結局、ファーストステージ、セカンドステージの双方で横浜FMが優勝したため、2年連続でJリーグチャンピオンシップは開催されず、横浜FMが自動的に年間優勝となった。また、年間総合順位の2位も(チャンピオンシップの敗者ではなく)年間勝ち点の2位である磐田になった。 一方残留争いは、1stステージの遅れを挽回できなかったベガルタ仙台と京都パープルサンガが降格となった。 この年J1に参加した大分トリニータは大分市営陸上競技場がJリーグの基準を満たしていない(座席で15000人以上収容が必要だが、同スタジアムは芝生席が主である)ため、大分ビッグアイに本拠地を一本化。ヴィッセル神戸は神戸ウイングスタジアムに本拠地を移転。また、浦和レッズはさいたま市駒場スタジアムに加え埼玉スタジアム2002も正式に本拠地登録した。また東京スタジアムは命名権の売却により「味の素スタジアム」(味スタ)に名称を変更した。 2ndステージでは最下位の大分トリニータが最少失点をマークするといった珍記録が生まれた。
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