2003年の騒乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/18 17:17 UTC 版)
「両シチリア独立運動」の記事における「2003年の騒乱」の解説
イタリア王国最後の王太子であり、ナポリ公爵でもあったヴィットーリオ・エマヌエーレが亡命先からの帰国をイタリア共和国政府に許された(それまで旧イタリア王家たるサヴォイア家の人間はイタリア入国を禁止されていた)際、彼はナポリを滞在先に選んだ。王党派のグループがこれを歓迎した一方で、ネオ・ブルボンの運動家達は「サヴォイアの子孫よ、亡命先へ帰れ!」というスローガンとサヴォイア家の紋章に重ねて禁止マークを描いたステッカーを販売した。これについて、熱心なネオ・ブルボンの支持者として知られる映画監督のパスクァーレ・スクイティエーリ(英語版)は「我々を苦しめた人間を迎えねばならないのは残念だ」と答え、ネオ・ブルボン運動の幹部であるジェンナーロ・デ・クレシェンツォは「南部人はサヴォイアの復帰を祝う必要は全くない。彼らはただ我々の栄光を奪っただけだ」と語った。
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