2002年から2010年まで
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「鹿島アントラーズのアカデミー」の記事における「2002年から2010年まで」の解説
2001年以降、鹿島アントラーズユースでは2010年までの10年で9名の選手が昇格した。とくに第12回Jリーグユース選手権大会優勝などの実績を残した2004年は、3選手が昇格した。しかし、曽ヶ端と野沢に続いてトップチームの主力として活躍する選手は現れなかった。こうした状況は、2010年に昇格が決定した土居聖真が2013年に主力となるまで続いた。 2003年に開始したプリンスリーグで鹿島ユースは当初、茨城県リーグに参戦。2004年に茨城県リーグ1部で優勝し、2005年からプリンスリーグ関東に参戦した。2011年に開始した高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグの初年度は、2部リーグ相当の関東プリンスリーグに参戦することになった。 ユースの監督は、2003年から2007年までは河崎淳一、2008年と2009年は古賀聡がつとめた。2010年は、監督が土田哲也、コーチが鹿島アントラーズでFWだった長谷川祥之という「トップ2」の体制となった。 この頃までのユースについて、ジュニアユースからユースに昇格しただけで満足したりクラブ活動のつもりでプレーしたりする選手もいたようだと、鈴木満強化部長は振り返っている。
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