1998年~1999年: 『グローブ・セッションズ』およびライヴ・アルバム
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1998年にサードアルバム『グローブ・セッションズ』をリリース。この時期のインタビューで、エリック・クラプトンとの短期間の交際によると推測される重いうつ状態に陥っていた。このアルバムからの1枚目のシングル『My Favorite Mistake 』は、本人は火遊びした元ボーイフレンドと語っているが、クラプトンについて書かれたとの噂がある。ビルボード誌上でこの曲が誰について書かれたものなのか話す事を拒否している。「人々は好き勝手に色々推測するけど、私だけが真実を知ってるの。私が誰と関係を持とうが私の勝手だし、それを誰かに話す事はない。私の親しい人にも話すつもりもないわ」と語った。アルバムのレコーディングが困難であったにも関わらず、2005年のBBCで「私のお気に入りのシングルは『My Favorite Mistake 』で、レコーディングもとても楽しかったし、今も演奏するのが楽しい」と語った。1999年の第41回グラミー賞で最優秀アルバム技術賞(クラシック以外)、最優秀ロック・アルバム賞の二部門受賞。1999年、映画『ビッグ・ダディ』のサウンドトラックに含まれたガンズ・アンド・ローゼズの『スウィート・チャイルド・オブ・マイン』のカバーをボーナス・トラックとして追加したアルバムを再発表。この曲は2000年の第42回グラミー賞最優秀女性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞した。このアルバムからの他のシングルは『There Goes the Neighborhood 』、『Anything but Down 』、『The Difficult Kind 』である。『There Goes the Neighborhood 』は2001年の第43回グラミー賞最優秀女性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞した。『グローブ・セッションズ』はBillboard 200で最高順位第5位となり、2008年1月現在のアメリカ国内の売り上げは200万枚におよぶ。 1998年後期、バート・バカラックのトリビュート・コンサートを行ない、『One Less Bell to Answer 』を歌った。 1999年、映画『The Minus Man 』で不運な放浪者役で女優デビューし、シリアルキラー役であったオーウェン・ウィルソンと交際を始めた。 ニューヨーク・セントラルパークにてコンサートを行う。その模様は『Sheryl Crow and Friends: Live from Central Park 』としてリリースされた。またこのコンサートは多彩なゲスト陣(盟友でもあるディクシー・チックス、サラ・マクラクラン、クリッシー・ハインド、スティーヴィー・ニックス、かつての交際相手エリック・クラプトン、そしてキース・リチャーズ)が話題となった。このアルバムの収録曲『There Goes the Neighborhood 』は最終的に2001年の第43回グラミー賞を受賞した。
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