1990年イタリア大会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 01:12 UTC 版)
「ロベルト・バッジョ」の記事における「1990年イタリア大会」の解説
1990年の地元開催では当初はスーパーサブ的存在であったが、グループリーグ第3戦目のチェコスロバキア戦において、中盤から単独ドリブル突破を仕掛け、ディフェンダーを次々と抜き去ってゴールを決めた。 準決勝の相手はマラドーナ率いるアルゼンチンであったが、この試合はバッジョはスタメンから外れ、チームもアルゼンチンに1-1に追いつかれた後、PK戦で破れてしまい、バッジョを先発させなかったビチーニ監督に非難が集中した[要出典]。 フル出場した3位決定戦のイングランド戦ではピーター・シルトンの致命的なミスを突いて先制点を記録し、さらには決勝点となるPKを誘った(彼はキッカーを大会得点王のかかったスキラッチに譲った)。
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