1985年–1993年:大統領
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「ウィー・キムウィー」の記事における「1985年–1993年:大統領」の解説
1985年、ウィーはシンガポール共和国大統領となり、その任期中においてシンガポール国立大学理事長 (Chancellor) となった。ウィーの2期目の任期まで、大統領候補の選任は国会の専権事項だった。ウィー大統領の2期目の途中だった1991年1月に、国会は憲法を修正し、大統領の直接選挙を導入し、公職者の任命や政府準備金の取り崩しに関する国会の決定に対して大統領が拒否権をもつように制度を改めた。 選挙で選出される大統領職の新設は、シンガポールの歴史において、最も重大な憲政上の変革であり、この憲法修正は政府の予算や公職者の任命についての拒否権によって、大統領の権限を強化するものであった。大統領は、国内保安法 (Internal Security Act) や宗教間の調和に関する諸法に基づいて、政府の権限行使について調査し、腐敗汚職事件の調査を行うこともできるようになった。 シンガポールで初めて実施される、民衆の選挙による大統領選挙を前に、現職のウィーはウィーは出馬せず、大統領としての2期目の任期を全うした上で引退することを決めた。1993年には、ダルジャ・ウタマ・テマセク最高勲章 (Darjah Utama Temasek) を受章した。
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