1979年-1989年:アマチュアの時代
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「フィンランドのコンピュータゲーム産業の歴史」の記事における「1979年-1989年:アマチュアの時代」の解説
1980年代初期、フィンランドにおけるコンピュータゲーム開発はただの趣味だった。コモドール社のコンピューターは当時フィンランドで最も人気のあるコンピューター製品であった。主にBASICで書かれたソースコードがMikroBitti(英語版)などのコンピューター雑誌で公開され、MikroBittiは「当月のプログラム」の賞金として500から1,000マルッカを提供していた。任天堂はゲーム機を発売していたが、ライセンス費用がアマチュアにとっては高すぎたため、フィンランドのゲーム開発者には興味を持たれなかった。 フィンランドではじめて制作されたコンピュータゲームは1979年に発表された、Telmac 1800(英語版)で動かせるチェスゲームである。より大規模なゲーム制作は1984年に始まり、アメアスポーツコーポレーションのソフトウェア部門であるアメアソフト(AmerSoft)がコモドール機で動かせるゲーム4種類を発表された。メフリニャ(Mehulinja)、ミューラヤハティ(Myyräjahti)、ヘルックスー(Herkkusuu)、ラハルフティマス(Raharuhtimas)の4種類だったが、インターフェースがフィンランド語であり、国際で宣伝する計画もなかった。アメアソフト以外にもトリオソフト社(TrioSoft)とテクノピステ社(Teknopiste)がゲームを発売しており、またコモドール以外にもZX Spectrum、Spectravideo(英語版)、MSX向けのゲームが発表された。 この時期の有名な開発者にはスタヴロス・ファソウラス(英語版)とユッカ・タパニマキ(英語版)がいる。
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