1974年 MITのImlacs
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 14:22 UTC 版)
「Maze War」の記事における「1974年 MITのImlacs」の解説
1974年、Greg ThompsonはMITのカレッジに移った際、このゲームも持って行った。 元祖のImlacネットワークバージョンは、二台がケーブルで直接接続されており、2人用プレイに限定されていた。MITにて、このゲームはクライアント=サーバ・システムに拡張された。クライアントは各Imlac上で動作し、50 kbit/sでシリアル接続されており、MITのIncompatible Timesharing System (ITS) を実行するPDP-10コンピュータと通信することができた。メインフレーム上のサーバプログラムは最大8台のクライアントを互いに対戦できるように統制していた。 ターミナル・サーバを用いることで、他のカレッジにあるARPAnet(現代のインターネットの前段階)に接続された各ImlacはMITにあるサーバに接続することができ、アメリカ各地のプレイヤー同士でプレイすることができた。 同じくこのバージョンでは、階数エディタが実装されプレイフィールドを異なるデザインで表示させることができた。 また、プレイモニターも実装された。メインフレームのホストサーバに接続されたen:Evans and Sutherlandのグラフィック・ターミナルはすべてのプレイヤーの位置が示されたトップダウン視点のマップを表示することができた。
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