1971年の戦績
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「フェラーリ・312PB」の記事における「1971年の戦績」の解説
1970年に312PBは3台製作され、1台が実戦に向けシェイクダウンテストを行った。フェラーリは1971年をテストの年と割り切り、レースには1台のみを参戦させていたが、第1戦のブエノスアイレス1000kmでイグナツィオ・ギュンティが事故死するという最悪のデビューとなった。 312PBはシーズンを通して1発の速さはあったが、耐久性の低さを露呈した。この結果フェラーリは1972年に向け、速さより耐久性の向上へ開発の目を向けることになった。 ※()内は車体番号。 国際メーカー選手権 第1戦 ブエノスアイレス1000km:(0874)リタイア 第2戦 デイトナ24時間レース:出場せず 第3戦 セブリング12時間:(0878)リタイア(5時間目まで1位) 第4戦 BOAC1000km:(0878)2位 第5戦 モンツァ1000km:(0878)リタイア 第6戦 スパ・フランコルシャン1000km:(0878)8位 第7戦 タルガ・フローリオ:出場せず 第8戦 ニュルブルクリンク1000km:(0878)リタイア 第9戦 ル・マン24時間レース:出場せず 第10戦 オーストリア1000km:(0878)リタイア(149周目まで1位) 第11戦 ワトキンスグレン6時間:(0878)リタイア ノンチャンピオンシップ戦 イモラ500km(インターセリエ第6戦):(0878)第1ヒート1位、決勝リタイア キャラミ9時間:(0880)優勝、(0882 or 0884)2位
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