1943年末の冬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 17:38 UTC 版)
「第28SS義勇擲弾兵師団」の記事における「1943年末の冬」の解説
1943年11月11日、SS突撃旅団「ヴァロニェン」はヴィルトフレッケン演習場からウクライナへ鉄道輸送され、19~20日にコルスンへ到着した。現地で旅団はヘルベルト・オットー・ギレSS中将(SS-Gruf. Herbert Otto Gille)麾下の第5SS装甲師団「ヴィーキング」に配属され、その予備部隊となった。 1943年12月の間、「ヴァロニェン」旅団はいくつかの戦闘を経験した。12月12日にはジュール・マチューSS中尉率いる第1中隊がゴロドク(Gorodok)地方の武装パルチザンのキャンプを奇襲した。しかしその翌日の12月13日、ユベール・ヴァン・エゼSS少尉(SS-Ustuf. Hubert Van Eyzer)率いる第1中隊第1小隊(27名)が偵察中に敵の待ち伏せに遭い、生存者6名を除いて全滅した。 1943年12月24日、ソビエト赤軍はドニエプル川西岸のドイツ軍を押し戻すための作戦、ドニエプル=カルパチアン攻勢を開始した。この作戦にはウクライナ方面軍所属の4個軍と白ロシア方面軍所属の1個軍が参加し、1944年4月24日まで継続して行われた。ドイツ陸軍第1装甲軍(1. Panzerarmee)および第8軍(8. Armee)に所属する11個師団とSS突撃旅団「ヴァロニェン」、第5SS装甲師団「ヴィーキング」はドニエプル川西岸の突出部に配置されており、赤軍の初期の攻撃目標とされていた。
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