1930年 霊友会の創立と発展
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「久保角太郎」の記事における「1930年 霊友会の創立と発展」の解説
1930年7月、会の名称を正式に「霊友会」とし、発足式を行った。そして、男爵・永山武敏を会長に、小谷喜美が名誉会長に、久保が理事長に就任した。角太郎は当時の混乱した世相の諸問題を解決するには、法華経に説かれた仏教的価値観と修行を民衆に広めて、多くの人が自分自身で菩薩行を実行する事が必要であると考えた。 そして、人々が僧侶の儀式に頼るばかりでなく、自ら積極的に法華経の修行と教えを自分達の生活に活かして行くよう努力することによって、今こそ法華経に説かれた普遍的な菩薩行の理想を日本で実現し、いずれは世界中で実現できる時が到来することを確信した。しかし、角太郎は、すでにその頃から、近未来に東京に火の雨が降る事を予見し、世の混乱を鎮め最悪の事態を回避すべく、東奔西走した。 その後、霊友会は急速に発展したが、角太郎の危惧した予見が現実化する正に直前の1944年11月18日に、その遺志を小谷喜美と久保継成に託して、志半ばにして他界した。
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