1800年初頭のフランス守備隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 18:20 UTC 版)
「マルタ包囲戦 (1798年–1800年)」の記事における「1800年初頭のフランス守備隊」の解説
フランス海軍が敗北し、城内の食料も欠乏する状況で、イギリス側はマルタのフランス守備隊に3度目の降伏勧告を行った。対するヴァーボワは「あなたの提案を受け入れるには、当地はあまりにも条件が良く、私はあまりにも国家の大事と己の名誉を理解しすぎているのだ」と述べ、やはり降伏勧告を蹴った。実際には、フランス守備隊の置かれた状況は惨憺たるものであった。ヴァレッタ市内の食料品は高騰著しく、1800年2月の時点で鶏16フラン、ウサギ12フラン、卵20スー、レタス18スー、ネズミ40スー、魚1ポンドに40スーの値がついていた。住民の間には発疹チフスが蔓延し、馬肉スープが唯一供給される食料となっていた。
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