1300年から1919年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 13:44 UTC 版)
「ペンツベルク」の記事における「1300年から1919年まで」の解説
ペンツベルクのファルテンモラッセでの採炭は1557年にはすでに行われていた。現在のペンツベルク病院近くのシュロスビヒルでは、当時掘り出されていた炭層が顕れている。この採掘は、1150年以前から採掘権を有していたベネディクトボイエルン修道院により行われていた。しかし、この採掘は、瀝青炭採掘層が深くなるにつれコストがかかるようになった。三十年戦争で石炭採掘は一旦中断され、その記憶も急速に薄れていった。しかし、18世紀の終わり頃バイエルンの鉱山官で貨幣鋳造官のマティアス・フルールはペンツベルクでの石炭産出について記述している。これがその後のこの都市の発展の基盤となるものであった。約170年ほど、炭坑がこの街の命運を担っていた。1803年までペンツベルクはベネディクトボイエルン修道院に属した。1818年にペンツベルクを集落の一つとするザンクト・ヨハニスラインが政治的に独立した市町村となった。1865年10月16日にトゥッツィング - ペンツベルクの鉄道路線が開通し、州都ミュンヘンへの石炭販売量が大きく増加した。1873年に炭鉱労働者の居住地として中核部が形成された。 1904年5月、シュロスビヒルにプロテスタント教会の礎石が築かれた。この教会は、現在この街の建築上最も重要な宗教建築である。1911年に旧町名ザンクト・ヨハニスラインから現在のペンツベルクに改名され、1919年に都市権が与えられた。
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