朴正煕暗殺事件
(10.26事件 から転送)
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朴正煕暗殺事件(パク・チョンヒあんさつじけん、ぼく・せいきあんさつじけん)は、1979年10月26日に大韓民国のソウル特別市で、朴正煕大統領と車智澈大統領府警護室長が金載圭大韓民国中央情報部部長によって殺害された事件である。韓国では起きた日付から「10・26事件」、また発生した場所から「宮井洞事件」とも呼ばれている。
- ^ 金は陸軍士官学校を卒業して軍の要職を歴任し中将で予備役入りしたのに対し、車は陸軍士官学校を受験するも試験に落ち、陸軍甲種将校砲兵幹部候補生として少尉に任官された(この時車が受験した11期には、後に両名とも韓国大統領となる全斗煥や盧泰愚などがいる)。そのため、車は士官学校卒に対してコンプレックスを抱いていたとされる。
- ^ もっとも車は金だけにこのような電話対応をしたわけではなく、他の高官に対しても同じ対応をしたという。
- ^ 車は朴大統領の気持ちに沿うことを優先し、工作に失敗しても責任を問われない立場であることを利用して介入したとされる。
- ^ ただしこの時に金が叫んだ言葉は情報が錯綜している。同席していた金桂元(大統領府秘書室長)は金載圭が自身に「閣下にきちんとお仕えしてください」と声を掛けた後に車智澈に向かって「この虫けら野郎!」と叫んで発砲したとしており、ホステス2名のうち沈守峰(歌手)は「このガキ、生意気だ!」と金が叫んだとしている。一方で申才順(女子大生、モデル)はこのように金が叫んだと証言したが、後に2011年の朝鮮日報のインタビューで「合同捜査本部の圧力でそう証言せざるを得なかった」と発言している。
- ^ チョン・ギヨン(インタビュアー:チェ・イェリン)「[インタビュー]「崔太敏が朴正煕の死を予告して以来、朴槿恵が一層信じるようになった」」『ハンギョレ』、2016年11月6日 。2020年6月3日閲覧。
- 1 朴正煕暗殺事件とは
- 2 朴正煕暗殺事件の概要
- 3 事件の経過
- 4 事件の影響
- 5 作品
- 10.26事件のページへのリンク