1〜3(4)代目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/05 02:15 UTC 版)
初代=木村吉助は明治の人で、子供の頃から高座に上がり、その容貌の美しさとも相まって人気者となったが、それに溺れることはなかった。芸人であった父が死に、行き場に困っていたところを前述の円喬に拾われ、数ヶ月をそこで過ごす。鋭角的で切れ味のいい芸風で、『鰍沢』のお熊などが特に得意だったという。 初代の死後、少し間が空いた後に襲名した2代目=須磨藤造は、おとなしい芸風。3代目=浦辺菊二も「逆らわない芸」といわれ『百年目』などを得意とし、人格者であったらしく「それが噺に、にじみ出て来る」と、直弟子である5代目は語っている(出典:『空飛ぶ馬』所収「砂糖合戦」)。 しかし、紫(後の5代目円紫)の真打ち昇進・紫襲名披露の楽屋において3代目が倒れ急死。3代目は当時46歳であり、円紫の名跡に早世の色が付くことを気遣い(また、4を嫌ったともされる)、居合わせた協会顧問に紫が円紫の名を継ぐときは4代目をとばして5代目春桜亭円紫としてほしいと頼んだ。こうして、円紫の4代目は空席となっている。
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