黒龍江統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/07 23:18 UTC 版)
1912年(民国元年)3月、袁世凱の命により、軍事に暗い黒竜江都督宋小濂を補佐するため、朱慶瀾が黒竜江督署参謀長に任命された。1913年(民国2年)8月に宋が辞任すると、後任の畢桂芳の護理を経て、同年10月、朱は護軍使兼民政長に任命された。1914年(民国3年)5月、民政長から巡按使に改めて任命され、6月、護軍使から鎮安右将軍に改めて任命された(いわゆる黒竜江将軍)。 1915年(民国4年)9月、朱慶瀾は他の14省の将軍と共に袁の皇帝即位を支持する電文を打つ。12月に一等子爵に封じられた。しかし、袁が皇帝即位を取り消す前後の、1916年(民国5年)5月、黒竜江第1師師長許蘭洲、同師参謀長李景林の軍事圧力を受けて、朱は下野に追い込まれた。 なお、朱慶瀾による4年間の黒竜江統治は堅実なものであった。保安隊組織による社会秩序の安定、開墾事業の展開、公道建設、福祉・救済事業の重視など、軍政・民政のいずれでも実績を残している。また、日頃の質朴な生活態度は、黒竜江の人々に感銘を与えたとされる。
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