黒田高政 (東蓮寺藩主)とは? わかりやすく解説

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黒田高政 (東蓮寺藩主)

(黒田隆政 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/07 08:33 UTC 版)

 
黒田 高政
黒田高政像
時代 江戸時代前期
生誕 慶長17年(1612年
死没 寛永16年11月13日1639年12月7日
改名 万吉(幼名)→高政
別名 官兵衛(通称)、隆政
戒名 雲心院殿松峯宗了大居士
墓所 東京都渋谷区広尾祥雲寺
福岡県直方市山部の雲心寺
官位 従五位下、市正、薩摩守
幕府 江戸幕府
筑前東蓮寺藩
氏族 黒田氏
父母 父:黒田長政、母:栄姫保科正直の娘)
兄弟 忠之、甚四郎、長興高政
正室:吉子(有馬直純娘)
養子:之勝
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黒田 高政(くろだ たかまさ)は、筑前東蓮寺藩の初代藩主。

生涯

慶長17年(1612年)、福岡城にて父・福岡藩初代藩主黒田長政と母・栄姫との間に四男として生まれる。黒田家には通字で「たか」と読む字に「高」と「隆」の2種類があるため、別表記で隆政とされることもある。「高」の字は祖父の孝高より1字を取ったものと思われ、同じく通称として「黒田官兵衛」を名乗った。

元和9年(1623年)、父の死去による遺言で、兄忠之より4万石を与えられて東蓮寺藩を立藩し、初代藩主となった。市正、薩摩守に叙任される。

寛永14年(1637年)、島原の乱に参陣して武功を挙げたが、寛永16年(1639年)11月13日、桜田の江戸藩邸にて28歳で死去した。嗣子がなく、兄忠之の次男・之勝が跡を継いだ。

直方山部に東蓮寺藩主菩提寺、臨済宗雲心寺を建立開基、開山には帰依していた大徳寺の江月宗玩を迎えた。高政は宗玩と大変親しく、複数の書状が各所に残る。京都大徳寺龍光院には、宗玩の為に庵を建立した。

所用の甲冑および父・長政写しの兜「一の谷形兜」が、東京国立博物館に所蔵されている。

黒糸威胴丸具足(東京国立博物館所蔵)



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