黒田周一
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黒田 周一 | |
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生誕 |
1879年3月18日![]() |
死没 |
1962年 福岡県久留米市 |
所属組織 |
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軍歴 | 1902年 - 1930年 |
最終階級 |
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墓所 | 都立多磨霊園 |
黒田 周一(くろだ しゅういち、1879年(明治12年)3月18日 - 没年不明[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴・人物
徳島県出身[1][2]。1902年(明治35年)陸軍士官学校第14期卒業[1][2]。1912年(大正元年)陸軍大学校第24期卒業[1][2]。
1923年(大正12年)11月に陸軍歩兵大佐・関東軍高級参謀、1926年(大正15年)3月に歩兵第30連隊長を経て、1927年(昭和2年)7月に第6師団参謀長に任官[2]。済南事件に出動した[1]。
ついで、1929年(昭和4年)8月に陸軍少将・歩兵第24旅団長を経て、1930年(昭和5年)8月1日に待命、同月29日に予備役に編入した[1][2]。
著作
- 『同生同死の友邦満洲国の正観』1933年。
脚注
参考文献
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
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