鷲尾隆順
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鷲尾 隆順(わしお たかより、1868年12月21日(明治元年11月8日)[1] - 1919年(大正8年)1月25日[2])は、明治時代から大正時代の華族(男爵)。旧公卿の鷲尾伯爵家の分家。位階は従三位。
鷲尾隆聚伯爵の二男として生まれ、幼名を順麿といった。1884年3月に分家して華族の男爵家に列した。
養子となり男爵となった鷲尾光遍は三室戸和光子爵の次男で、僧侶となり石山寺の座主や真言宗山階派管長を務めた[3]。
親族
- 妻:せき(東京府の平民飯沼頼隆の三女)1880年10月 - 1916年2月
- 長男:隆しげ※ 1905年10月 - 没年不明 分家[1]
- 養子:光遍(三室戸和光次男) 1879年9月 - 1967年11月[4]
※「しげ」は「司」の下に「子」を置いた漢字。
脚注
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 鷲尾家初代 1884年 - 1919年 |
次代 鷲尾光遍 |
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