鵜之真似
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 04:48 UTC 版)
江戸後期の小倉藩の藩士で、御書院番や御近習頭を勤めた小島禮重が小倉藩の逸事、風俗、地誌を記録したものに『鵜之真似』がある。ここに伊織に関する逸事が実に10あまりも記録されており、具体的な人物像を知ることができる。ここでは2例だけ紹介する。 一、宮本伊織殿は名高き侍にて有りし由、島原一揆起こり候につき九州諸侯残ず下知これ有御帰国也、その時殊の外、道を急ぎ諸家御帰城也、将軍家より御尋には、その方留守には家老は誰を置き出府致し候哉と有りければ、宮本伊織を置申し候段仰せ上られければ、伊織留守に居り候へば気遣なし、早々帰城致し候らへと上意ありし由、有難き事にて君臣共に武門の面目此上あるべからず、貴かるべし。 一、年月不肖、江戸大火の節、此方様へ和田倉御防ぎ仰せつけられ御出馬遊ばされ、御下知厳しき故、皆々必死に火を防ぎける、之に依り殿様へ火の子雨の如く吹きかくれ共、泰然として御下知ありける、御家老は宮本伊織殿の由、御用人が伊織殿に申しけるは、余り火の子烈しきにつき殿様少し御下り遊ばされ候ては如何御座あるべきかと申しければ、伊織殿、以の外憤られ扨心得違いを申さるべき方哉、殿様斯くの如き御働き遊ばさればこそ何れも必死に防ぎ、今和田倉も防ぎ留め申すべき様子なり、申さるる如く御下り遊ばされ候はば誰が必死に防ぎ申すべき哉、今が大切の時也、務めて左様の儀申され間敷と叱られければ、御用人もその勇威に恐れて退きける由、流石十五万石の侍大将、誠に有難き御家老、国家柱石の臣とはこの伊織殿をば云ふべき。
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