鳥海・摩耶の近代化改装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 14:55 UTC 版)
「鳥海 (重巡洋艦)」の記事における「鳥海・摩耶の近代化改装」の解説
鳥海、摩耶の近代化改装は昭和16年(1941年)度から実施される予定だったが、同年12月の開戦のために実施されなかった。これには対外情勢の影響のほか先述したように艦隊旗艦任務が多く、改装する時間が取れなかったのも一因という説もある。改装内容は艦橋の小型化をはじめ高雄、愛宕に準ずるが、後部マストの移設については盛り込まれなかったとされる。 後に摩耶はラバウル空襲後の戦傷修理を兼ねて改装を行い、鳥海に対しても摩耶と同様の改装を計画し図面も準備されたが改装の機会は得られず、 45口径10年式12センチ単装高角砲4基(高雄等は40口径八九式12.7センチ連装砲4基) 八九式61センチ連装魚雷発射管4基(高雄等は九二式4連装発射管4基) と竣工時の高角砲・魚雷発射管を装備したままで最期を迎えた。なお、大戦後半にはレーダー(前部マスト上に2号1型を1基、艦橋に2号2型を2基)を装備していた。
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