鳥屋浦事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 09:49 UTC 版)
和解に不服であった真島ら6人の地主は、1924年5月に再び訴訟を起こし、小作料請求・耕作禁止・土地返還を求めて法廷で争う構えを示した。また、地主側は組合に属さない小作農を協調的な奨農会に組織化しようと図った。 この訴訟について、新潟地方裁判所新発田支部は、1926年4月に地主側勝訴の判決を下した。直ちに小作側は東京控訴院に控訴したが、地主側は耕地20町歩余りを立入禁止とする仮処分を強制執行するよう裁判所に申請した。 5月5日の鳥屋部落における執行の際には、組合員と警官隊が衝突し、組合幹部が多数検束された。検束された小作農の中には、稲木に縛り付けられた者もあった。 この「鳥屋浦事件」は、日農指導の下で耕作権の確立を目指す小作と、それを強制的に剥奪・弾圧しようとする地主との対立を決定的なものとした。
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