高田伸彦との抗争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 20:14 UTC 版)
1986年2月6日、越中はIWGPジュニア王座決定リーグ戦の決勝でザ・コブラを破り、初代IWGPジュニアヘビー級王座を獲得。その後、旧UWFから戻ってきた高田伸彦とジュニアベルトを争った。高田のキックを愚直にも正面から受ける越中のファイトスタイルはUWFびいきのファンからも支持を集め、一躍人気レスラーとなった。そのキックや関節技を主体とした攻めの高田と、「耐える美学」「人間サンドバッグ」とまでいわれた受けの越中のシングルマッチはいわゆる「ジュニア版名勝負数え唄」と形容され、当時のプロレスファンの圧倒的な支持を得た。1987年3月20日、王座決定戦で武藤敬司とのコンビを組み、前田日明・高田組を破り第4代IWGPタッグ王座を獲得する。1988年2月7日、第1回TOP OF THE SUPER Jr.でも優勝し、ジュニアでは敵なしの状態にまで上り詰めた。
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