高演
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高演(こうえん、明和2年(1765年)-弘化5年1月16日(1848年2月20日)は、江戸時代後期の真言宗の僧侶。右大臣鷹司輔平の子。幼名は理君。
経歴
幼くして醍醐寺に入り、13歳の時に得度、後に杲観から 伝法灌頂をうける。2度にわたって大峰山入峰を行い、特に文化元年(1804年)の入峰の際には随行者5000名を数えた。天保2年(1831年)に東寺長者(226世)になると、その後准三宮・醍醐寺座主(52世)・東寺長者(再任・234世)・当山派別当などを歴任した。また、『弘法大師正伝』の編纂にもあたった。
参考文献
- 日本仏教人名辞典編纂委員会 編『日本仏教人名辞典』法蔵館、1992年 ISBN 978-4-8318-7007-0
- 市古貞次 編『国書人名辞典 2』岩波書店、1996年
高演(こうえん)
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演 - キミー・チャオ(中国語版)、日本語吹き替え - 星野貴紀 常山王→孝昭帝 北斉第3代皇帝。母は婁妃(婁昭君)。高湛に比べて人格・才覚ともに劣るが兄弟の情に厚く、文宣帝の死に際しては悩みながらも婁妃の勧めで即位した(孝昭帝)。即位後も弟・高湛を気遣い、彼を皇太弟に任命し次に皇位を継承させようとしていた。過去の出来事から不仲な貴妃・蕭喚雲との間の溝を埋めようと苦難する。殿は翔陽殿。
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