騒動の発生地域・参加人員と軍隊出動、検挙者の処遇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:04 UTC 版)
「1918年米騒動」の記事における「騒動の発生地域・参加人員と軍隊出動、検挙者の処遇」の解説
「米騒動」や「米騒擾」などと呼ばれた約50日間にわたる一連の騒動は、最終的に1道3府37県の計369か所に上り、参加者の規模は数百万人を数え、出動した軍隊は3府23県にわたり、10万人以上が投入された。呉市では海軍陸戦隊が出動し、民衆と対峙するなか、銃剣で刺されたことによる死者が少なくとも2名出たことが報告されている。検挙された人員は2万5,000人を超え、8,253名が検事処分を受けた。また7,786名が起訴され、第一審での無期懲役が12名、10年以上の有期刑が59名を数えた。米騒動には統一的な指導者は存在しなかったが、一部民衆を扇動したとして、和歌山県で2名が死刑の判決を受けている。
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