駿河侵攻の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:06 UTC 版)
永禄11年(1568年)12月には遠江での今川領分割を約束した三河の徳川家康と共同で駿河侵攻を開始し、薩垂山で今川軍を破り( 薩埵峠の戦い)、今川館(後の駿府城)を一時占拠する。江尻城(静岡県静岡市)を築城。 信玄は駿河侵攻に際して相模北条氏康にも協調を持ちかけていたが、氏康は今川氏救援のため出兵して永禄11年(1568年)甲相同盟は解消された(甲相同盟の「武田氏の駿河侵攻と甲相同盟の破綻」参照)。北条氏は越後上杉氏との越相同盟を結び武田領国への圧力を加えた。さらに徳川氏とは遠江領有を巡り対立し、永禄12年5月(1569年)に徳川家康は今川氏と和睦し、徳川家康は駿河侵攻から離脱した。
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