馬場との対決、欠場そして復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 20:44 UTC 版)
「ミスター珍」の記事における「馬場との対決、欠場そして復帰」の解説
1961年1月7日、名古屋・金山体育館で馬場正平(ジャイアント馬場)と対戦した珍は馬場の16文キックをまともに食ってしまう。後に珍が「あの時『しまった!』と思った」と語った程強烈なキックでゴムまりの様に吹っ飛ばされ後頭部からキャンバスに叩き付けられ昏倒、左半身の脳天からつま先まで完全にしびれ、瞳孔が開き舌も喉の奥に巻き取られる程の重体であった。すぐさま病院に担ぎ込まれ、手厚い看護を受けたが「俺はかなりの重体なんだな…」と察した珍は引退を覚悟したという。そんな珍を励まし、リング復帰を進めてくれたのが珍を看護していた若い看護師であった。彼女の励ましと深い愛情に感動した珍は2か月以上に渡る入院生活を経て退院、レフェリーを経て見事にレスラーとして復活した。その後、病気(胃潰瘍、糖尿病等)で引退するまで現役を続けた。珍を励ましてくれた看護師は後に珍と結婚、彼を陰になり日向になり支え続けたという。 この事件はキラー・コワルスキーの耳削ぎ事件やスタン・ハンセンのブルーノ・サンマルチノ首骨折事件と並んで完全なアクシデント(事故)であったが、当時馬場はひどく落胆し「もし珍さんが復活出来なかったら僕はプロレスを辞めようと思った」と語った程落ち込み、珍を心配していたと言う。
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