馬場の名の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 23:52 UTC 版)
1636年、徳川三代将軍家光により旗本達の馬術の訓練や流鏑馬などのための馬場が造営された。 一説に、この地が家康の六男で越後高田藩主だった松平忠輝の生母、高田殿(茶阿局)の遊覧地(景色のよい遠望を楽しむために庭園を開いた所)であったことから、高田の名をとって高田馬場としたとする。だが、それ以前に、この一帯が高台である地形から俗称として高田とも呼ばれていたため、その名を冠したとの説、その2つの由来が重なったためとの説もある。一説には、高田村の飛び地があったためとも言われている。 近隣には高田(豊島区)、上高田(中野区)の地名が現存する。
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