首相代行から首相へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 06:46 UTC 版)
「エフード・オルメルト」の記事における「首相代行から首相へ」の解説
2006年1月4日、シャロン首相が脳卒中で倒れ、職務の継続が不可能と判断されたため、イスラエル・マイモン官房長官とメナヘム・マズーズ検事総長はオルメルトを首相代行に任命し、3月28日に総選挙を行うことを確認した。 オルメルトはシモン・ペレスを始めとするシャロン支持者にカディマに残るよう説得し、リクードに戻らないよう(ペレスの場合は労働党)懇願した。2006年1月16日、彼はカディマ議長に就任した。 2006年1月24日、彼の最初の政策は「収束計画」(Convergence Plan)というヨルダン川西岸からの一方的撤退計画だった。また、同時にイスラエルは断固として歴史的に定められた土地からは離れないとも表明した。 しかし、2006年3月7日にはエルサレム市長時代の1999年に彼の家の賃貸借契約料を利用して違法な献金を受けていた疑いが浮上した。 2007年9月には再びこの問題に刑事捜査が入った。 総選挙では29の議席を得たカディマが勝利し、4月6日にモシェ・カツァブ大統領の組閣命令を受け、連立政権を樹立。5月4日、オルメルトはクネセト議会とモシェ・カツァブ大統領の元、正式に首相に任命された。
※この「首相代行から首相へ」の解説は、「エフード・オルメルト」の解説の一部です。
「首相代行から首相へ」を含む「エフード・オルメルト」の記事については、「エフード・オルメルト」の概要を参照ください。
- 首相代行から首相へのページへのリンク