餅を焼く家中力抜けゐたり
作 者 |
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季 語 |
餅 |
季 節 |
冬 |
出 典 |
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前 書 |
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評 言 |
句集『遠く聴こゆるサラバンド』 2007年刊 わが日本は多彩な餅の文化をもっている。一般に餅は、年中行事などの節目節目に搗いてふるまうハレの日の食べ物である。そのさいたるものはお正月の「鏡餅」で、霊力が宿るとされた鏡に模したものである。 その餅を焼いているとき「家中力抜けゐたり」と感じる感覚は特異なもので、作者は餅が膨らむときの力強さや粘りより、餅が焼けるときの、うっすらとした匂いを感じたと想像する。ご飯の炊ける匂い、餅の焼ける匂いは幼児期から私たちの体にしみ込んだものであるが、作者は視覚ではなく、嗅覚でもってなにか本質的なものを感得したと思われる。例えばプルーストの『失れた時をもとめて』で、紅茶にひたしたマドレーヌの味と匂いが、幼いときに過ごしたコンプレーの町ひいては過去一般がもつ本質を呼び起こしたように。 さて「家中力抜けゐたり」をどう解釈しようか?この感覚は内に向かえば作者の意識に呼応する。この感覚を説明することは難しいが、「家中力抜けゐたり」とは空間的な感覚が後退したことを暗示しているのではなかろうか。そして、嗅覚(餅が焼ける匂い)によって、作者の全〈時間〉呼び起こされた、と読んでみた。不思議な、そして魅力的な一句と思う。 |
評 者 |
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備 考 |
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