飛車先保留
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 02:39 UTC 版)
角換わりの歴史に大きな影響を与えた新手が、昭和60年代に発見された5手目の▲7八金であった。歩を突かないことで、▲2五桂と跳ねる余地を作ったのである。この飛車先の歩突き保留は、後の角換わり一手損戦法にも通じる発想であった。この手の発見によって、専守防衛を狙った陣形でも先手から打開することが可能になったため、よりカウンターの攻撃力が高い図の戦型に回帰することになった。 その後、昭和末期より約20年ほどの研究が積まれたが、第1図の形もやや先手が指せるという研究結果になっていた。そのため、一方的に攻められた上に主導権も握れない後手は、角換わりを採用する魅力を感じなくなった(佐藤康光のように、極力後手番でも角換わりを受けて立ち、なおかつカウンター狙いでなく攻撃姿勢をとっていた棋士もいるが、プロのなかでは少数派である)。後述する丸山新手が一時期先手必勝だと思われていたこと、さらに、1990年代末に出現した横歩取り8五飛戦法が高い後手勝率を誇ったため、後手がわざわざ角換わりを受けて立つ必要もなく、角換わりの採用率は低下していた。
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