飛車角落ちの優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 08:56 UTC 版)
「全国高等学校野球選手権大会に関するエピソード」の記事における「飛車角落ちの優勝」の解説
1964年(第46回大会)に出場した高知は初戦で(対:秋田工)エースで4番打者の大黒柱であった有藤通世が顔面に死球を受け退場、陥没骨折で入院する事故に見舞われ、次の2回戦(対:花巻商)では主将が同じく死球で退場し、骨折して入院する緊急事態となった。(1回戦でエースで4番、2回戦では主将が負傷してしまい)準々決勝からは投打の大黒柱である二人が不在というハンディキャップを背負うこととなったが二番手投手の2年生・光内選手が終始好投、打線も大会を通じて2割に満たない数字ながらも(.196)ここぞという好機を逃さず加点し、ついにそのまま優勝を成し遂げ、周囲から将棋に例えた『飛車角落ちの優勝』と称えられた。
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