領土拡張戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 21:36 UTC 版)
「セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン」の記事における「領土拡張戦争」の解説
和平後はダンケルクをはじめとするフランス国内の防衛拠点の築城に従事する。以後、ヴォーバンは平時においては要塞の築城、ルイ14世が行った一連の領土拡張戦争においては敵要塞の攻略を任されるようになっていき、生涯にわたって53の攻囲戦と33の築城を行い、また運河や水道橋も手がけている。ネーデルラント継承戦争(1667年 - 1668年)ではドゥエ、トゥルネー、リールなどを攻略。さらにオランダ侵略戦争(1672年 - 1678年)ではナイメーヘン、マーストリヒト、トリーア、ブザンソン、ヘントといった重要な攻囲戦を指揮した。 オランダ侵略戦争終結後は築城最高責任者に就任し、一連の戦争でフランスが獲得した領土における防衛体制の整備にあたった。特に、平地の連続するフランドルでは防衛のため要塞が必要と考えられ、ヴォーバンはダンケルクからディナンに至る第一線要塞群15か所と、後方の要塞群13か所の築城を指揮した。 オスマン帝国による第二次ウィーン包囲に乗じて、フランスがスペイン領ネーデルラントに侵攻した際には、ヴォーバンは1683年にコーリック、1684年にルクセンブルク市を攻略した。大同盟戦争(1688年 - 1697年)ではフィリップスブルクやナミュールの攻囲戦を指揮した。
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