青海地方の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 06:32 UTC 版)
「中華人民共和国によるチベット併合」の記事における「青海地方の状況」の解説
1860年代の回民の大叛乱ののち、中国西北の寧夏、甘粛、陝西等の各地方、および青海はイスラム教徒馬一族の支配下に入り、辛亥革命により清朝が倒れたのちもこの状況はつづいた。中華民国の北京政府は青海を「将来省制を施行すべき」特別地区と位置づけ、国民政府により、東隣の河西回廊の一部とあわせて1928年に「青海省」が発足した。この間、馬一族からは馬領翼が青海弁事長官(1913-14)、馬麟が甘辺寧海鎮守使兼青海蒙蕃宣慰使(1915-28)、青海省委員(1929-38)、青海省主席(1931−33)等、馬歩芳が青海省主席(1938-1949)に就任している。 清国が滅亡したのち、ガンデンポタンはチベット全土の再統一をめざし、1933年には青海地方の南部(カム地方北部)の玉樹地方でチベット軍と青海軍が衝突したが、現状維持におわった。
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