青海・ジュンガリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/28 21:07 UTC 版)
「チンギス統原理」の記事における「青海・ジュンガリア」の解説
モンゴル高原の西部から青海・ジュンガリアにかけての地域では、元朝解体後の14世紀にチンギス・カンの血を引かない首長を擁する諸部族が連合し、オイラト部族連合を形成する。しかし、オイラトにおいてもチンギス統原理は生き続け、彼らは長らくハーンを称することはなかった。唯一の例外として、モンゴル高原全土を制圧してハーンに即位したエセン・ハーンがいるが、彼も即して間もなくオイラト部族内の内紛で殺害されている。 17世紀になって、チンギス・カンの弟ジョチ・カサルの後裔を称するホシュート部族からオイラトで初めてハーンの称号が名乗られるようになった。しかし、彼らのハーン位はダライ・ラマによって授与されるものであって、あくまでオイラトの間にチベット仏教が浸透し、その権威がチンギス統に匹敵するものとなったことを示すものであるという指摘がなされている。
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