電力供給事業の縮小と終了
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 20:58 UTC 版)
「関西私鉄の電力供給事業」の記事における「電力供給事業の縮小と終了」の解説
京阪電鉄の各事業は積極的な投資を続けて拡大していたが、大正末から昭和初期の不況下では1億円に達する借入金(関連会社の新京阪鉄道の借り入れ金を含む)が経営の重荷となった。その対策の一環として1930年(昭和5年)に 営業上は順調であった和歌山地区の事業を、三重県を中心に近畿や四国まで営業権を広げていた三重合同電気に3,650万円で譲渡した上で、新京阪鉄道と合弁した。1939年の日本発送電の設立に際しては自社で大規模な発電施設を持っていなかったので影響はなかったが、1942年の関西配電株式会社の設立に際し電力供給施設の供出と人員511名を移籍して電力供給事業は終了した。 京阪が関西配電に出資した施設の評価額は2720万円であり、関西配電が引き継ぐ当事業の負債630万円との差額2090万円に対し、同額の関西配電の額面50円株式が交付された。また1941年下期(半期)の全収入1261万円のうち31.5%の397万円が電気供給事業から得られており、京阪にとっては大きな痛手であった。
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