陣屋と城下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 06:15 UTC 版)
「大溝陣屋」も参照 江戸時代に城が廃されると、郭内の大溝陣屋とともに武家屋敷地を含む惣郭と称する曲輪が備えられ、惣郭内(総じて郭内とも)は東西4町余り(約440m)、南北2町余り(約220m)。本丸跡は射的場に使用された。武家屋敷地の周りは土塀で囲まれて、総門(惣門〈摠門〉)とともに、北門(不浄門)、西門、南門が置かれた。その北側には総門によって分画された町人町が整備された。総門は宝暦5年(1755年)に大修理がなされて以来、改変されながら現在に至っている。総門より北側の町人地は、大溝城の城下町を更新して整備され、東西約3-4町(約330-440m)、南北11町(約1280m)におよんでいた。20町名が知られるなか、長刀町・江戸屋町・蝋燭町・職人町・紺屋町といった町名が今に残る。
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