阿波踊りとの由縁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 07:48 UTC 版)
徳島出身の連長である米澤曜の曽祖父は、関西歌舞伎で活躍した市川寿三郎(本名、米澤廣之助)。市川寿三郎は、徳島花柳界に阿波踊りを取り入れるなど阿波踊りの振興に寄与した人物で、徳島で最も有名で華やかな花町、富田町の検番の頭取を務め、「丁子」という料亭を数件経営していた(戦中に焼失したため現在はない)。 市川寿三郎は「阿波踊りの名付け親」と言われる林鼓浪や、阿波よしこの節の名手、多田小餘綾(通称・お鯉さん)などと深い親交があった。 若き日のお鯉さんが日本コロムビアの担当者に初めてその美声を聞かせ契約を取り付けたのが、米澤曜の実家であり寿三郎の経営していた料亭「上丁字」である。 そのレコード「徳島盆踊唄」の発売が阿波踊りを一躍全国に知らしめたきっかけになったことから、阿波踊りが日本中に広まった原点であり米澤曜の家紋でもある「丁子」の紋を、寶船はシンボルマークとしている。
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