阿武隈川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/22 20:51 UTC 版)
そのころ都では、中将の母は亡くなっていた。そこに中将の乗っていた青鹿毛が、母宛の文を付けて現れる。中将の父である大将がその文を見ると、この世の暇を述べた和歌なのでその嘆きはたとえようもない。 有宇中将には有成の少将という弟がいたが、中将を探すために父大将に暇乞いをし、青鹿毛に乗りその歩みに任せると、はたして中将のところに行き着いたが、すでに中将は亡くなっていた。かたわらには姫君の返事もある。少将はこの有様を見て嘆き悲しんだが、姫君の文を見てこの女の行方を尋ねようとまた道を行くと、妻離川で姫君に出会った。少将は自分が中将の弟であることを話し、せめて亡くなった中将の遺体を見せたいと姫君を馬に乗せて連れて行った。これにより妻離川を、「あふ(会ふ)くま川」(阿武隈川)と呼ぶようにはなったのである。
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