阿久比町横松の地下壕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:02 UTC 版)
「中島飛行機半田製作所」の記事における「阿久比町横松の地下壕」の解説
半田製作所の埋め立てや乙川駅のかさ上げで土採りされた阿久比町横松地区の山で、1945年ころになると今度はトンネル掘りが始まったという地元民の証言がある。 中島の飛行機部品を疎開させる倉庫代わりということで、ゆくゆくは地下工場にして飛行機を組み立てるといううわさがあったという。空襲があると防空壕代わりに使われ、半田からもたくさん避難民が来たという。トンネルは8本あり、入口は幅5m、高さ3mくらいで松を杭木に使い炭鉱と同じ要領で80mだったという。 戦後ははげ山となり県事業でコンクリートの土留めができるまで大雨のたびに鉄砲水に悩まされた。壕内の松の木は戦後取り出して燃料に使ったという。
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