闘争ハンスト事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 05:46 UTC 版)
1969年8月25日、当時TBS放送劇団の団員の一人でもあった明石が突然、TBS放送局の役員室のある4階のエレベーター前の一角に死装束を着て頭に三角の額あてを巻いた姿で座り込み、線香を焚いてハンガー・ストライキを起こす事件があった。 きっかけは、TBSがかつて当局に長い間存在した、KR放送劇団というラジオ放送のための劇団を解散することにあった。その際に劇団員は契約を解除することになったが、交渉のなかで明石に対し、「契約解除に応ずればTBSの社員にする」という約束をした。ところが劇団が解散になっても、明石への社員化の約束が守られなかった。そこで、明石はこのストライキを起こしたのであった。 初めはその異様さに驚いた人たちもいたが、事情を知るにつれて色々な職場の有志からの同情の声明文が張り出されるようになったり、労働組合としても放っておけなくなったりと、騒ぎが大きくなってしまった。 当時のTBSのプロデューサーだった村木良彦も、仲間と声明文を印刷して現場で配って読んでもらうなど、支援活動も3回ほど行っていた。同年9月9日に明石は衰弱し、医師の指示で病院に運ばれたため、この事件は終わることとなる。それと同時に引退することとなった。
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