開局薬剤師・経営者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/09 23:34 UTC 版)
「清水藤太郎」の記事における「開局薬剤師・経営者として」の解説
1912年(大正元年)、神奈川県庁衛生課に勤務していた藤太郎は、横浜市馬車道で「上気平安湯本舗:紀伊国屋薬舗」を経営していた二代目清水榮助(籍名:新太郎)に請われて娘婿として養子に入る。その後、藤太郎が近代的な薬局へと店舗の改装を図ると、家伝薬の「上気平安湯」の評判が上がり、店舗名も「平安堂薬局」に改称した。また、写真館ではない店舗に暗室を設け、現像、焼付、引伸ばしなど今日のDPEの元祖となる営業を日本で初めて行ったのは藤太郎だと言われている。 1929年(昭和4年)には神奈川県薬剤師会会長に就任し、1947年(昭和22年)までの18年間、県民の保健推進、医薬分業の啓蒙活動などに尽力した。
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