開山・日全
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 16:04 UTC 版)
「妙覚寺 (江戸川区)」の記事における「開山・日全」の解説
弘安7年(1284年)5月に妙覚寺を開山した日全は等覚院と号し、鎌倉時代の武将・千葉介6祖・頼胤の甥して生まれ、少納言律師であった。日全は千葉県市川市中山にある大本山・正中山法華経寺から形成された流派・中山門流(日常門流)の僧で、法華経寺2世・日高の弟子とも、3世・日祐の弟子ともされる。法華経寺を開山した日常こと富木常忍は、日全の叔父・千葉介頼胤の家臣で、法華経寺3世・日祐は頼胤の孫・千葉胤貞の養子である。 法華経寺3世・日祐は日蓮宗の祖山とされる身延山久遠寺3世・日進と親交を深めたが、日全もまた日進に師事して抄物・相伝・口決を相承したという。この時代、中山法華経寺と身延山久遠寺は親密に交流を図っており、共に蔵書を書写し補充したと推測される。また日全は比叡山および仙波に遊学して天台学も学んだとされ、代表的な著書に正慶から康永3年(1344年)5月にかけて今島田唱行寺で述作したという「法華問答正義抄」22巻があり、中山法華経寺の宝庫に所蔵されている。日全は康永3年(1344年)5月25日に没した。生年、年齢は不明。
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