門別軽種馬トレーニングセンター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 03:56 UTC 版)
「門別競馬場」の記事における「門別軽種馬トレーニングセンター」の解説
前述の通り、競馬場化される以前は「門別軽種馬トレーニングセンター」の名称で、関係者の生活拠点、および所属馬の調教用施設として運用されていた。 冬季に約5か月の休催期間があるホッカイドウ競馬(道営競馬)では、従来より開催のない冬季に他地区の競馬場で長期滞在を行っていたが、1970年代の初頭ごろから受け入れ態勢が変化したため、厩舎関係者が帯広・旭川・岩見沢の各競馬場に残ったり、一部は馬主の牧場や自分の牧場へ分散するなどして次年度の開幕に備えていた。ところが、いったん解雇した厩務員が春になっても集まらず人員不足に陥ったため、競走馬の調教が不十分なうえ頭数不足も深刻となっていた。また、自前の競馬場を持たないため開催地が変わるたびに関係者は引越しをしなければならず、関係者の子どもたちもその都度転校を余儀なくされていた。 こうした事情から、調教と生活の拠点となる「トレーニングセンター」の建設が切実な問題となり、候補地として門別と千歳が争った結果、積雪量の少なさなどで優位な立地条件を持つ門別に決定され、1978年(昭和53年)に着工。1982年(昭和57年)から入厩が開始され、1985年(昭和60年)に竣工した。 トレーニングセンターが建設されたことで外部との接触が制限され公正確保の面で大きく寄与することになったほか、同じ敷地内に全員が定住することで日々の調教を競い合うようになり、競走馬の資質向上にもつながった。また、関係者の家族や子どもたちも引越しや転校の必要がなくなり、安定的な生活・学習環境を得られるようになった。
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