門下、その他
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/22 15:48 UTC 版)
算知門下では、巌崎健造、鬼塚源治、奈良林倉吉、中村正平が当時安井門四天王と呼ばれ、他に田原恒三郎、中松松齋、石原常三郎、島村栄太郎らの五段がいた。健造は明治期にも活躍し、方円社3代目社長も務める。健造が算英十歳頃に碁を見てやっていて、あまりに稚拙な手を打つので手を上げたことがあり、算英は泣いて母親に訴えたが、算知は健造の話を聞いて、今後も遠慮なく殴ってくれ、算英の兄とも師ともなってくれと褒めたと言う。 安井家の一世安井算哲、二世安井算知、三世安井知哲の墓所は京都寂光寺にあったが、宝永5年(1708年)に火災で失われた。算知はこれを、嘉永5年(1852年)に江戸深川浄心寺に改葬した。
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