長谷川弘志とは? わかりやすく解説

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長谷川弘志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 07:18 UTC 版)

長谷川 弘志(はせがわ ひろし、1935年2月5日 - )は、日本アナウンサー実業家。元・九州朝日放送(KBC)アナウンサー、元・KBCメディア社長

福岡県福岡市出身。早稲田大学文学部を卒業後の1957年、九州朝日放送にアナウンサーとして入社。情報番組からスポーツ中継まで幅広いジャンルの番組を担当した。

スポーツアナウンサーとしては、地元の平和台球場本拠地に使用していた西鉄(→太平洋クラブ→クラウンライター)ライオンズ戦中継の実況で人気を博していた。クラウンの後継球団・西武ライオンズの誕生で本拠地が平和台球場から西武ライオンズ球場埼玉県所沢市)へ移転した1979年に運動部の記者へ異動したが、1980年4月からKBCラジオで『長谷川ひろし おはよう7』(平日7:00 - 9:00の生ワイド番組)のパーソナリティを8年間務めた。

編成局制作部ラジオ局長時代の1990年4月に、横野英雄(当時の制作部長、元KBCニュースプラザメインキャスター)とともに、KBCラジオのワンフォーマット・ゾーン編成「KBC-INPAX」を発案。1993年3月まで継続した。[1][2]

後に、系列会社のKBCメディア社長を歴任。退任後の1996年から1999年まで、『長谷川ひろし おはよう7』のパーソナリティを再び務めた。同番組の終了後は、KBCと放送対象地域が重なるCROSS FMで、複数の番組に出演している。

出演番組

九州朝日放送(KBCテレビ
九州朝日放送(KBCラジオ
CROSS FM

脚注

  1. ^ 当時の松本盛二社長の大号令の元で、鳴り物入りの大型構想として、全社の総力を挙げた編成だったが、当初の目論見に反して、聴取率が低迷。RKBラジオエフエム福岡(FM FUKUOKA)に聴取者を奪われる結果となった。
  2. ^ 三才ブックス『なつかしラジオ大全』179Pより

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