長男の覚せい剤使用により議員辞職
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:37 UTC 版)
「中西啓介」の記事における「長男の覚せい剤使用により議員辞職」の解説
1995年4月17日、電通社員の長男が羽田空港で覚せい剤反応を示す。同年5月11日、議員辞職願を提出し、5月12日付で辞職した。長男は5月17日に逮捕された。同年6月には二信組事件に関与したために、衆議院予算委員会で証人喚問を受けた。 1996年の第41回衆議院議員総選挙では、新進党公認で和歌山1区から立候補し、当選。政界に復帰したが、和歌山市長だった旅田卓宗や、東力も立候補し、地元での中西の求心力の低下がささやかれた。 1998年、新進党解党に伴い、小沢一郎を党首に自由党を結成するが、2000年の自由党分裂に際して袂を分かち、保守党結成に参加して自公保連立政権に残留した。しかし与党に残ったものの、自民党和歌山県連が中西への選挙協力を拒否。第42回衆議院議員総選挙では自民党和歌山県連が独自に和歌山1区で谷本龍哉を擁立し、中西は谷本に敗れ落選。そのまま政界から引退した。 2002年1月27日、心不全のため死去。糖尿病が悪化していたとも伝えられた。60歳没。
※この「長男の覚せい剤使用により議員辞職」の解説は、「中西啓介」の解説の一部です。
「長男の覚せい剤使用により議員辞職」を含む「中西啓介」の記事については、「中西啓介」の概要を参照ください。
- 長男の覚せい剤使用により議員辞職のページへのリンク