長男エディの薨去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 03:30 UTC 版)
「エドワード7世 (イギリス王)」の記事における「長男エディの薨去」の解説
バーティの長男であるクラレンス公アルバート・ヴィクター(愛称エディ)が1892年1月14日にインフルエンザと肺炎のため薨去した。翌月にはエディと彼のはとこにあたるヴュルテンベルク王族テック公女メアリーとの結婚が予定されていた中での薨去だった。 バーティはヴィクトリア女王に宛てた手紙の中で「自分の命に何の価値も見出せない私としては、喜んで息子の身代りになりたかった」と苦しい心境を吐露している。 バーティ夫妻は残されたメアリー公女を引き続き娘として取り扱った。世論もメアリーへの同情が強まり、エディに代わって第2王位継承権者となった次男ヨーク公ジョージ(後の英国王ジョージ5世)に嫁がせるべきであるという声が増えた。そして実際にヨーク公とメアリー公女は1893年7月6日に結婚することとなった。夫妻は1894年に後に英国王エドワード8世となる長男エドワードを儲けている(バーティの初孫)。
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