長田王 (摂津大夫)とは? わかりやすく解説

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長田王 (摂津大夫)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 17:14 UTC 版)

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長田王(ながたおう、生年不詳 - 天平9年6月18日737年7月20日))は、奈良時代皇族官位正四位下摂津大夫

経歴

和銅4年(711年正五位下に叙せられ、翌和銅5年(712年伊勢斎宮へ派遣される[1]元明朝末の和銅8年(715年)正五位上、元正朝に入り霊亀2年(716年従四位下近江守と続けて昇叙される。

神亀元年(724年聖武天皇即位後間もなく従四位上に叙せられると、のち神亀6年(729年正四位下衛門督天平4年(732年摂津大夫に叙任されている。天平6年(734年朱雀門前で歌垣が開催された際、栗栖王門部王・野中王らとともに頭を務めた[2]

天平9年(737年)6月18日卒去。最終官位散位正四位下。

人物

聖武朝初期に、六人部王門部王佐為王桜井王ら十余人と共に「風流侍従」に数えられた[3]

歌人として、『万葉集』に伊勢斎宮に遣わされた際山辺の御井で[4]および筑紫水島[5]へ派遣された際に詠んだ和歌6首が入集。また、『歌経標式』にも和歌作品1首が採録されている。

官歴

続日本紀』による。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『万葉集』巻1-81
  2. ^ 『続日本紀』天平6年2月1日条
  3. ^ 『藤氏家伝』武智麻呂伝
  4. ^ 『万葉集』巻1-81「山辺の御井を見がりて神風(かむかぜ)の伊勢娘女(おとめ)ども相見つるかも』及び82,83(82,83の二首は「御井にして作られるに似ず。」と注釈あり)
  5. ^ 『万葉集』巻3-245,246,248

参考文献




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